鳥取県米子市皆生温泉に生まれた生田春月
萩原朔太郎に「日本詩壇の燈台」と称賛された生田春月は
大正期を代表する感傷詩人のひとりです。
生田は鳥取県米子市の皆生温泉に生まれ、
幼くして温泉に親しみがありました。
16歳にして上京し、同郷の作家生田長江宅に書生として住み込みました。
同宿者には佐藤春夫もいたそうです。
大正6年に第一詩集「霊魂の秋」を、
翌年には第二詩集「感傷の春」を出版します。
たちまちにして出版を重ね、詩人としての地位を確立していきました。
また、ハインリッヒハイネの研究家として
全詩集を翻訳し紹介したこともあります。
大正9年から12年にかけては、読者人気投票で夏目漱石を抑え
人気第一位の座を獲得するほどの人気であったそうです。
しかしながら、人気があった半面、芸術家としての未熟さを苦悩に思い
故郷鳥取で行われる講演に赴く途中、播磨灘に投身自殺してしまいます。
皆生温泉の海浜公園には、米子を舞台にした小説「相寄る魂」の
冒頭の文学碑が立っています。
皆生温泉へ訪れた際は少し足をのばし、訪れてみて下さい。
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