2012年5月31日木曜日

小説・映画の舞台となった奥津温泉を叙情的に描いた藤原審爾


小説・映画の舞台となった奥津温泉を叙情的に描いた藤原審爾

「秋津温泉は・・・温泉町というはなやいだところが少なく
むかし城下町であったような、ものさびた落着きをもっている。
農閑期になると・・・しかし、その季節が過ぎれば・・・
秋津という湯の町は、澄んだ水底のようになった。」
藤原審爾「秋津温泉」より


「秋津温泉」は直木賞作家である
藤原審爾が26歳の時の作品です。
物語は、幼くして両親を亡くした主人公が
16歳の時、伯母の湯治に付き合って
奥津温泉に毎年行くなかで繰り広げられる
人間模様を叙情的に描かれた作品です。

昭和37年松竹が映画化しましたが、その舞台になったのが
小説の舞台と同じ「美作三湯」のひとつ奥津温泉でした。

奥津温泉のひなびた木造の宿のたたづまいが、
抑えた恋情を表現する背景として上手に表現されています。

小豆島が舞台となった「二十四の瞳」を執筆した壺井栄


小豆島が舞台となった「二十四の瞳」を執筆した壺井栄

香川県小豆島の小豆島温泉からは、島全体を車で散策出来ます。
その中でもぜひ訪れて頂きたいのが「二十四の瞳映画村」です。


オリーブの島と称される小豆島を舞台とした
壺井栄の小説「二十四の瞳」は、1954年に映画化され
それにより小豆島の素晴らしさが一気に全国区となりました。
壺井栄が生まれ育ったのは小豆島の坂手村で、
夫は同じく小豆島出身の詩人でもある壺井繁治氏です。

「二十四の瞳」が発表されたのは1952年のことでした。
大石先生と12人の子供の戦中から戦後にかけての
教師愛と友情に満ちた物語は、
戦争の悲惨さを訴えるとともに
戦争の傷跡のまだ癒えない多くの
大人と子供の心にいきる力を
改めて呼び起こす作品です。
島には彼女の文学碑と文学館があるので、
ぜひ足を運んでみて下さい。

聖徳太子も入浴した日本最古の温泉・道後温泉


聖徳太子も入浴した日本最古の温泉・道後温泉

愛媛県松山市の北東部にある道後温泉は、足を傷めた白鷺が
岩間に噴出する温泉で傷を癒したのが始まりであると言い伝えられています。
今でも通称白鷺温泉とも云われ、
道後温泉本館には白鷺のオブジェがたくさんあります。

有馬温泉と白浜温泉と並ぶ日本三古湯のひとつで、
「日本書紀」や「万葉集」、「源氏物語」にもその名が登場し
聖徳太子が来湯したという記録も残っているそうです。


明治時代以降は夏目漱石、与謝野鉄幹など多くの文人に愛され
また、この地には正岡子規や高浜虚子などの
俳人が生まれ育ったことで有名です。

今では近代的なホテルや旅館が立ち並び、一大繁華街となっていますが
道後温泉本館を始め、「坊っちゃん」当時の
名残をとどめた建物や景観もあり、明治の文豪を生んだ文学的情緒を
今に伝えています。

温泉はぬめり感があり柔らかな湯が特徴で、
美肌効果が高いとの評判が広がり、女性を中心に人気の温泉地です。

周辺には「奥道後温泉」や、弘法大師が発見したとされる
たかの子温泉など、様々な温泉が点在していますので
是非足を運んでみて下さい。

松山中学の教師夏目漱石の体験記「坊っちゃん」を執筆した道後温泉


松山中学の教師夏目漱石の体験記「坊っちゃん」を執筆した道後温泉

「湯壺は花崗岩を畳み上げて、十五畳敷居位の広さに仕切ってある。
深さは立って乳の辺りまであるから・・・湯の中を泳ぐのは中々愉快だ。
おれは人の居ないのを見済ましては十五畳の湯壺を
泳ぎまわって喜んでいた。」
夏目漱石「坊っちゃん」より


「坊っちゃん」は、今でも愛読者が絶えないほど人気の小説です。
作中、道後温泉は「住田温泉」と称され、温泉の行き帰りに
腰にぶら下げていた手拭から坊っちゃんは「赤手拭」と呼ばれています。

当時道後温泉本館は築後間もなく、坊っちゃんは
「ほかの所は何を見ても東京に及ばないが、
温泉だけは立派なものだ」と絶賛しています。

「稲の穂に湯の町低し二百件」(正岡子規)と詠まれた
当時の道後温泉には、赤シャツと野だいこの忍んだ角屋や
坊っちゃんの潜む桝屋もあったことでしょう。

今では坊っちゃん列車が街中を走り、温泉情緒と
小説の中の世界観が堪能できるのではないでしょうか。
ぜひ一度訪れてみて下さい。

2012年5月30日水曜日

鳥取県米子市皆生温泉に生まれた生田春月


鳥取県米子市皆生温泉に生まれた生田春月

萩原朔太郎に「日本詩壇の燈台」と称賛された生田春月は
大正期を代表する感傷詩人のひとりです。
生田は鳥取県米子市の皆生温泉に生まれ、
幼くして温泉に親しみがありました。

16歳にして上京し、同郷の作家生田長江宅に書生として住み込みました。
同宿者には佐藤春夫もいたそうです。


大正6年に第一詩集「霊魂の秋」を、
翌年には第二詩集「感傷の春」を出版します。
たちまちにして出版を重ね、詩人としての地位を確立していきました。
また、ハインリッヒハイネの研究家として
全詩集を翻訳し紹介したこともあります。

大正9年から12年にかけては、読者人気投票で夏目漱石を抑え
人気第一位の座を獲得するほどの人気であったそうです。
しかしながら、人気があった半面、芸術家としての未熟さを苦悩に思い
故郷鳥取で行われる講演に赴く途中、播磨灘に投身自殺してしまいます。

皆生温泉の海浜公園には、米子を舞台にした小説「相寄る魂」の
冒頭の文学碑が立っています。

皆生温泉へ訪れた際は少し足をのばし、訪れてみて下さい。

コウノトリが見つけた兵庫県城崎温泉


コウノトリが見つけた兵庫県城崎温泉

城崎は、日本海の入り江の黄沼前が転じた地名といわれています。
その歴史は古く、約1400年前、
コウノトリが足の傷を癒していた跡を見てみると、
そこに温泉が湧いていたとされているんだそうです。

その場所は現在でも「鴻の湯」として現存していて、
城崎温泉の発展はこの地を中心に開けていったんだそうです。


100軒ほどの温泉旅館が立ち並ぶ城崎温泉は、
JR城崎温泉駅を玄関口とし、
円山川の支流の大谿川とそこにかかる石造りの太鼓橋や、
両岸を飾る柳並木と調和し、
山と海に囲まれた当地に温泉情緒を醸し出しています。

城崎温泉の楽しみのひとつはなんといっても
浴衣を着てのそぞろ歩きではないでしょうか。
「浴衣憲章」というものがあり、浴衣が似合う温泉地として
根強い人気があります。

宿の中には、好みの浴衣を選ばせてくれるところもあるそうですので
そういった宿を探してみるのもいいいかも知れませんね。

志賀直哉が事故の傷を癒した城崎温泉


志賀直哉が事故の傷を癒した城崎温泉

「山手線の電車に蹴飛ばされて怪我をした、その後養生に、
一人で但馬の城崎温泉へ出掛けた。
背中の傷が脊椎カリエスになれば致命傷になりかねないが、
そんな事はあるまいと医者に云われた。
我慢出来たら五週間位居たいものだと考えて来た。」
志賀直哉「城の崎にて」より


大正2年、志賀直哉30歳のときに山手線の電車にはねられ
重傷を負い12日間入院していたんだそうです。
その後、江戸時代の医師香川修徳が日本一と絶賛した
城崎温泉に療養の地を移し、旅館三木屋に数週間滞在しました。

城の崎にてという心境小説の傑作は、旅館の自室から眺める
ハチの死、ネズミの死、イモリの死など、
生き物の死を媒介として生まれました。

また、唯一の長編小説「暗夜行路」は近代文学の
傑作のひとつと称されていますが
これも城崎温泉の旅館「三木屋」に滞在して執筆されたんだそうです。

その後も志賀は、城崎温泉を気に入り、生涯10数回も
当地を訪れているんだそうです。

三木屋には今も志賀直哉執筆の部屋が大切に保存されているそうですので
一度訪れてみてはいかがでしょうか。


放送作家花登筐が「細うで繁盛記」を執筆した土肥温泉

静岡県土肥温泉の旅館「玉樟園新井」にある文学碑には
「銭の花の色は清らかに白い 蕾は血がにじんだように赤く
香りは汗のにおいがする」
という花登筐の言葉が刻まれています。


この言葉は1970年頃に大ヒットしたテレビドラマ「細うで繁盛記」
のオープニングでのナレーションです。
女優演じる旅館「梅花亭」の女将が、陰湿ないじめを受けながら
たくましく旅館を切り盛りする話で、このドラマの執筆を
花登筐は土肥温泉の「玉樟園」でしたそうです。

滋賀県大津市に生まれた花登は、同志社大学を卒業後
ある商店に入社し東京支店に配属されます。
この時の経験が後のドラマ、どてらい男に生かされたんだそうです。

彼の人生訓は
泣くは人生、笑うは修行、勝は根性
だそうです。

細うで繁盛記を思い浮かべながら土肥温泉を訪れてみて下さい。


北陸観光には欠かせない観光拠点芦原温泉

芦原温泉は福井県の北部、緩やかな丘陵と
坂井平野のなかにある北陸屈指の温泉地です。
なんとこの温泉は、井戸を掘っていたら偶然湧き出てきたのが
その始まりなんだそうです。
当初は湯治客向けの宿が数件あっただけなんだそうですが
国鉄三国線が開通したのをきっかけに
温泉街として一気に活気づき、近代的なホテルや旅館が林立する
繁華な温泉へと発展していったんだそうです。


そして現在、豊かな自然と温泉街が醸し出す風情や多彩な料理といった
要素が溶け合い、大変優雅な温泉地となっています。

旅館はそれぞれが数寄屋造りの建物で、豪華な純日本風庭園や
趣向を凝らした内湯と露天風呂の完備など、多彩な設備を整えています。
また、夕暮れ時には芸妓さんの姿も見られ、温泉情緒が感じられます。

当地は泉源が多いので、各旅館で泉質が微妙に違うそうです。
ですので、外湯周りで様々な温泉を楽しんでみてはいかがでしょうか。
また、北陸の観光拠点でもあります。
断崖絶壁の東尋坊や曹洞宗大本山永平寺など、一度は行ってみたい
観光名所が近隣にたくさんあるので、ゆっくり楽しめそうです。


水上勉「越前竹人形」の舞台となった福井県芦原温泉

「お父さんは・・・芦原へおいでやすたんびによってくれはりました
喜助は、この女が芦原で何をしている女であるか判断出来なかった。
そういえば、父と一緒に芦原へいったことはあった。
芦原は越前に一つきりの温泉町である。」
水上勉「越前竹人形」より


「越前竹人形」は芦原温泉の遊女と福井県の竹細工師との恋物語です。
越前竹人形は越前の伝統工芸のひとつで、芦原温泉の近くでも職人が
家内工芸的に生産を続けているそうです。
水上が小説の舞台に芦原を選んだ所以なのでしょう。

水上は執筆の場に、温泉場をよく選んでいました。
往時の文人の例にもれず、温泉をこよなく愛していた節が表れています。
昭和30年後半からは1年の半分以上を奥湯河原温泉の
「加満田旅館」に投宿したそうです。
「越前竹人形」もそこで執筆されたそうです。

彼は福井県に生まれ、臨済宗の侍者となるが寺を出、行商などをし
当時は文筆とは縁遠い存在でした。
戦争の激化と供に故郷に戻ってから執筆活動に勤しみ
「雁の寺」で直木賞作家となってから一躍有名になりました。

当地にて「越前竹人形」を読みふけるのもいいかもしれませんね。

ミシュランも絶賛!北アルプスの絶景を仰ぐ新穂高温泉


ミシュランも絶賛!北アルプスの絶景を仰ぐ新穂高温泉

岐阜県高山市にある奥飛騨温泉郷新穂高温泉は本格的な
北アルプス登山やトレッキングはもちろん、
爽やかな高原の風を満喫できるのはもちろんのこと、
山里の風情に浸って温泉三昧もよし。
各旅行会社も力を入れる人気の温泉地です。


奥飛騨温泉郷には全体で約170件の旅館民宿がありますが、
標高1000mを超える新穂高温泉は、
国民保養温泉地に指定されています。

温泉の最奥部には、新穂高ロープウェイの駅があり、
北アルプス登山の基地ともなっています。
泉質は炭酸水素塩泉を中心として様々な効能があります。
各宿も趣向を凝らし、北アルプスを目の前に露天風呂を堪能できる
よう配しているところが多いようです。

当地でぜひ味わっていただきたいのがスッポン。
奥飛騨平野温泉内にある養殖場では、水温を一定に保つ事が出来
品質の良いスッポンが育つんだそうです。
それと合わせて飛騨ラーメンもぜひ。

お土産には大人気猿ぼぼ人形はいかがですか。

2012年5月29日火曜日

井上靖「氷壁」の舞台となった新穂高温泉


井上靖「氷壁」の舞台となった新穂高温泉

「魚津は古川駅からバスで栃尾に出た。栃尾から3時間歩いて、
蒲田川に沿った山間の一軒家である新穂高温泉に到着したのは
十一日の暮方だった。川べりに湧いている温泉に体を浸し、
その晩はすぐ床にはいった。泊り客は魚津以外誰もいなかった。」
井上靖「氷壁」より



「氷壁」は穂高で山仲間を失ってしまった主人公が、その死の真相を追う物語です。
主人公が前穂高に入山すべく到着した新穂高温泉の「一軒家」の宿が、
現在の「中崎山荘」なのです。
当地には北アルプスの絶景を自慢にした露天風呂を持つ宿が多く点在するほか、
河原に岩を並べただけのダイナミックに自然を満喫出来るものなどがあります。

井上は北海道生まれではあるが静岡県湯ケ島の祖母のもとで育ちました。
小さくして温泉地には愛着があったようです。

40歳の時「闘牛」で芥川賞を受賞してからは
作家活動に専念するようになりました。
後に中国訪問日本文学代表団の一員として訪中してからは、
中国をはじめ諸国へ精力的に旅行し、様々な歴史小説を執筆するようになりました。

芥川賞作家井上靖が描いた新穂高温泉。
主人公の足跡を追って旅をするのもいいかもしれません。

伊豆の踊子の舞台のひとつ湯ケ野温泉は日本のふるさと


伊豆の踊子の舞台のひとつ湯ケ野温泉は日本のふるさと

静岡県にある湯ケ野温泉は相模湾と天城山脈に
南北を挟まれた河津温泉郷のひとつです。
天城湯ケ島温泉郷とともに中伊豆の代表的温泉地となっています。
当地は歓楽地的な華やかさ、きらびやかさはなく、
古びた湯治場の情緒を今なお色濃く残し、落ち着いた雰囲気が漂っています。
その町並みは「手作り郷土賞」や「ふるさとの坂道30選」
「街灯のある街角30選」などを受賞し、多くの支持を得ています。



湯上り後の散策には「福田屋旅館」の脇にある
伊豆の踊子文学碑を訪れてみて下さい。
近くには短歌や俳句の投稿箱があるので
一句したためてみてはいかがでしょうか。

近隣にはカッパ寺とも称される栖足寺があります。
和尚に助けられた河童が、お礼に置いて行ったとされる壺が
現在でも保存されているそうです。
また、初代駐日総領事ハリスが宿泊したという慈眼院には
ハリスが使った椅子や皮袋等が残っています。

当地でぜひ召し上がっていただきたいのは伊勢えび。
9月上旬から翌5月ころまで味わう事が出来ますのでぜひ。
お土産には近年人気のウルトラ生ジュースはいかがでしょうか。
ミカンとはちみつで作った、非常に濃厚でおいしいジュースです。

伊豆の踊子にも登場する湯ケ野温泉にある川端康成が愛した宿


伊豆の踊子にも登場する湯ケ野温泉にある川端康成が愛した宿

「私は川向うの共同湯の方を見た。湯気の中に七八人の
裸体がぼんやり浮かんでゐた。
仄暗い湯殿の奥から、突然裸の女が走り出してきたかと思うと・・・
両手をいっぱいに伸ばして何か叫んでいる。
手拭もない真裸だ。それが踊子だった。」
川端康成「伊豆の踊子」より



川端康成は学生時代の大正7年、初めて伊豆に旅をし、
旅芸人の一行と道ずれになりました。
その時の経験をもとに執筆されたのが伊豆の踊子だそうです。

上記引用部は湯ケ野温泉で一泊した翌朝の情景を描いたもの。
湯ケ野温泉は河津川沿いの河津温泉郷にある閑静な温泉地です。
河津川の橋の麓には川端が逗留した福田屋があり、
2階には川端が泊った部屋がそのまま残されています。
そこでは直筆の書を見る事が出来ます。
踊子たちがその裸身をさらした共同湯は、
現在では露天ではなく内湯となっていますが現在でも入る事ができます。

伊豆に訪れた際はぜひとも訪れてみてください。